無料ダウンロードスカルノ大統領の特使―鄒梓模回想録 (1981年) (中公新書) pdf
スカルノ大統領の特使―鄒梓模回想録 (1981年) (中公新書)
によって 鄒 梓模
スカルノ大統領の特使―鄒梓模回想録 (1981年) (中公新書)を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
スカルノ大統領の特使として、外交問題に関与した、チョウ・シン・モによる、インドネシアの外交の裏面史。チョウ・シン・モは、中国客家の出であるが、その活動はインドネシア、日本を中心とした人物。インドネシアは、1945年8月17日、スカルノらにより独立が宣言されるが、宗主国オランダは「金の卵」インドネシアを離さず、もう一回、日本による占領前の状態に戻そうと、軍事介入まで行う。これが国際社会の反発を生み、インドネシアは、1949年、漸く独立する。しかし、国内政治は不安定で、各地で反乱も起き、スカルノ政権は、国軍、共産党系勢力のバランスの上に成り立っていた。こうした中、スカルノ政権はオランダの資産を実力で接収する動きに出て、これに対しオランダが資本を引き揚げた為、インドネシアはにっちもさっちもいかない状態になっていた。海峡国家のインドネシアにとっては、特に船舶の引き揚げがきびしかった。この窮地を脱する一策として、スカルノは、日本との平和条約の締結と、戦時賠償協定の成立に動いた。この時にスカルノの特使として動いたのが、この、チョウ・シン・モという人物である。1958年、戦時賠償協定が締結され、日本よりインドネシアに、まず、多数の船舶が供給され、窮地にあるスカルノを救った。翌1959年、スカルノ来日の際に、根本七保子がスカルノに紹介され、七保子はインドネシアに渡る。(後のデヴィ夫人)時はまだ「戦後」の時代、特にインドネシアの政治はまだ整備されておらず、統治制度が不完全な分、スカルノの裁量が大きかった。こうした中で、「特使」を使って行われた、当時のインドネシア・日本の外交の様子が、一人称で記されている。こうした文書は、著者に都合の悪い記述はない為、批判的に読む必要があるが、その注意さえすれば、インドネシア・日本の外交の裏面史として、非常に興味深い内容が語られている。
0コメント